SS・お話
PUPPY LOVE
夏休み最後の週末。
高原のさびれた別荘地。木々に囲まれた古ぼけたコテージのテラスには、肉の焼ける芳ばしい匂いが漂っていた。少し錆びたバーベキューセットの網の上では、赤身の肉がジュウジュウと音をたてる。八月の終わりとはいえ、頭上からはまだ強烈な夏の日差しが降り注ぎ、アウトドア用のテーブルの上に並べられた缶ビールは全身に水滴をまとっていた。
「しっかし蔵馬、こんな別荘持ってるとは、やっぱ親父が社長ってすげえな。」
缶ビールをあおりながら、幽助は簡素な板張りの建物を仰ぎ見た。
木造のシンプルな建物は、壁は色が剥がれている部分もあり、年数を経ていることは否めなかったが、森の中に立つ北欧風のコテージの傍らには、小さいながらも川が流れており、ちょっとしたリゾート地のような趣もあった。
「別荘といっても、見ての通りかなり古いですけどね。親父が取引先に頼まれて断れずに引き取ったんですよ。」
網の上の野菜をトングでひっくり返しながら、蔵馬が笑う。
魔界トーナメントが終わって一年。幽助はラーメン屋を開業し、蔵馬は就職。桑原と瑩子は進学し、飛影は魔界、ぼたんは霊界と、それぞれの生活が始まり、お互いに会うことも少なくなっていた。そんな中、久しぶりにみんなで集まろうという蔵馬の発案で、揃って蔵馬の父親の会社が持つ別荘へ遊びに来たのだった。
「でもよ。今回珍しく蔵馬から誘いがきたから最初びっくりしたぜ。」
頭にタオルを巻き、軍手にトング姿の桑原は、そう言ってTシャツの袖で汗をぬぐった。
「たまに使わないと建物が傷むから使ってくれって親父に頼まれたんで。ついでに中の掃除もして来てくれって親父からの伝言です。はい、お肉どうぞ。」
「おーサンキュー!」
「おい裏飯!おめぇさっきから食ってばっかりじゃねえかよ。」
蔵馬から肉の乗った皿を渡され、幽助は早速それにかぶりつく。
「ちょっと幽助!少しは蔵馬さんと桑原君を見習って働きなさいよ!あとお酒はダメだからね!」
いつもの通りお小言を言いながらコテージの中から出てきた瑩子に、幽助はへいへいといい加減な返事をする。瑩子の後ろから出てきたぼたんと静流は両腕いっぱいにビールやら酎ハイの缶を抱えている。さらにその後ろから、切りわけたスイカをのせた大きな盆を持った雪菜が続く。
「皆さん、スイカ切ったので食べませんか?」
「はいっ!!雪菜さんの切ってくれたものならこの桑原和真、皮までだって食べます!!」
「カズ、アホなこと言ってないで手を動かしな!」
雪菜の言葉に桑原が大袈裟に応じ、静流がそれに茶々を入れる。お決まりの姉弟の掛け合いを微笑ましく眺めながら、雪菜はその奥に一人佇んでいる黒い影に目を留めた。
皆の輪の中から少し離れ、飛影はいつものように不機嫌な表情で、テラスの階段に腰掛けていた。
蔵馬が飛影にも声を掛けたと言った時、群れるのが嫌いな飛影のことだ、誰もが来ないだろうと思っていた。だから予想に反して飛影がこのコテージに現れた時には蔵馬以外の全員が驚いた。けれどせっかく来たにも関わらず、飛影はここに来てから、まだ何も食べていないどころか、皆の会話にも一切加わっていなかった。
「あの、飛影さんもスイカいかがですか?」
「いらん。」
「でも…」
「いらんと言ってるだろ…」
冷たく言い放ってしまってから、相手が雪菜だったことに気付いて、飛影は気まずそうに顔を背けた。
「気分じゃない。」
「じゃあ、ここに置いておきますね。食べたくなったら食べてください。」
顔を背けたままの飛影の横に、雪菜はそっとスイカの載った皿を置くと、まだ飛影を気にするようなそぶりを見せながらも桑原たちの元に戻っていった。
「雪菜さん、あんな奴気にかけることないんですよ。普段から不愛想な奴なんですから。」
普段の飛影なら、桑原に睨みのひとつでも利かせているところだろう。だが今日の飛影は全くそのそぶりも見せなった。
コテージ脇を流れる川からは幾分涼しい風が吹いてくる。飛影はその風に前髪を吹かれながら、視点を一点に定めたまま、雪菜と桑原のやりとりをぼんやりと聞いていた。
いや、実際のところは、何も聞こえてはいなかった。シャワシャワと喧しいほどに鳴く蝉達の声も、小鳥のさえずりも。涼しげな小川のせせらぎも、幽助たちのバカ騒ぎの声も。なにも耳に入らなかった。
ここにきてからずっと、飛影は一人の男の横顔だけを見て、ただひとつのことばかりを考えていた。すっかり自分の世界に入り込んでしまって、飛影は傍らに誰かが立ったことにも気が付かなかった。
「雪菜ちゃんがせっかく切ってくれたんだから、食べてあげたらいいのに。」
すぐそばでした声に、ハッとして飛影は顔を上げた。
鼻を掠める長い髪。ふわりと香る薔薇の香り。さきほどから穴が開くほど見ていた男の顔がそこにあった。
「はいこれ。飛影の分。お肉好きでしょ?」
目の前に差し出された肉の乗った皿。
眩しすぎる太陽を背に、穏やかに自分に笑いかける蔵馬に、飛影は眉をしかめた。
「いらん。」
「せっかく来たんだから、いい加減なにか食べたらどうです?」
「いらんッ!」
「いつまでそうやって子供みたいに拗ねてるつもりですか?」
「うるさい。余計な世話だ!」
飛影は立ち上がりざま蔵馬の差し出した手を皿ごと振り払った。山盛りに乗せられた肉は無残に地面に落ちて土まみれになった。
「俺にかまうな。」
そのまま森の奥へと消えてしまった飛影の後ろ姿を見送って、蔵馬は小さな溜息をついた。
「あいつなんでここに来たんだろうな?」
幽助がぽつりとつぶやいた。
* * * * *
うるさかった蝉達に代わり、繊細な虫たちが草むらから湧き上がってくるように鳴き始めた。少し離れた水辺からは風に乗って、カエルの合唱が寄せては返す波のように流れてくる。濃紺に染まった空には雲の影の切れ間にいくつかの星が見えていた。
薄暗くなった森の中で、飛影はゆっくりと体を起こした。物思いにふけっているうちに、寝てしまっていたらしい。眠りに就く前には僅かに聞こえていた幽助たちの声も聞こえない。もうあのバカ騒ぎは終わったのだろう。
月が明るい。
飛影は空を見上げた。月あかりに照らされて、木々のシルエットが、くっきりと地面に影を落としている。飛影は、再び体を柔らかな茂みの中に横たえると、片腕で目を覆った。
夏草のこもった匂いが香る。
瞼の裏に、手を振り払った瞬間の蔵馬の顔が蘇って、飛影は心の奥が軋むのを感じた。
あの顔を見るのは二度目だ。
どうしてあんな言い方しか出来ないのだろう。
ずっと、後悔していたはずなのに。
一年前。魔界トーナメントが終わった直後。
蔵馬に想いを告げられた。
どうしていいか分からなかった。
咄嗟に、詐る言葉が口をついて出た。
「俺は、お前のことをそんな風に思ったことはない。これから先、思うこともない。」
永遠のような長い沈黙の後、蔵馬はひとこと、そうか、と呟いた。
それきりだった。
それ以来、蔵馬と会うことはなかった。
あれからずっと後悔している。
それなのに今日、蔵馬の姿を見れば見るほど、蔵馬に話しかけられる度、どうしていいか分からなくなった。
胸の奥が痛んで、飛影は歯を噛んだ。
「クソッ…」
「やっと見つけた。」
頭の上から降ってきた聞きなれた声に、飛影はゆっくりと目を覆う腕をずらした。自分を覗き込む細身のシルエット。白い月明かりの下で揺れる長い髪は、銀髪のようにも見えた。
「蔵馬…?なんでここにいる?」
「貴方を探しに来たんですよ。」
当たり前でしょう?
と、月を背にして、惑わすような翡翠の瞳が笑う。その優し気な笑顔とは対照的に、痛いほどの力で腕を掴まれ、体を引き起こされた。
「はなせ…」
「さ。幽助たちのところへ戻ろう。」
「俺にかまうな。どうして貴様は俺にかまう?」
こんな俺に関わっても何も得なんかない。
そう真っ直ぐに問いかける幼い瞳に見上げられて、蔵馬は次の言葉を躊躇するように目を逸らして口元を押さえた。
「どうしてって…、これを言うと、多分貴方怒ると思いますよ。」
「…いいから言え。」
「……さっきの貴方の背中が、『追いかけてきてくれ』って言っているように見えたから。」
途端、飛影は自分の顔が燃えるように熱くなるのを感じた。心の中を見透かされたようで、逃げてしまいたいような恥ずかしさと同時に、体の芯から打ち震えるような感情がこみ上げてきて、何も言い返せなくなった。
黙り込んでしまった飛影の様子を見て、蔵馬は腕を掴む力を緩めた。
「オレね、後悔していたんです。飛影に気持ちを伝えた事。」
蔵馬の言葉に飛影は顔を上げた。白い月の光に照らされた長い髪が森を渡る風に揺らぐ。
「貴方に嫌われたと思って。それで一度は貴方を諦めようと思ったんですけどね。」
諦められませんでした。
と端正な顔が笑う。
「どうしてももう一度飛影に会いたくてね。雪菜ちゃんを利用させてもらいました。雪菜ちゃんが来ると言えば、飛影も来るんじゃないかと思ってね。だから今回、貴方が来てくれて本当に嬉しかった。」
そう言って蔵馬は、今まで見たことがないほど嬉しそうに笑った。
あぁ。まただ。
ズクンと胸の奥が軋んで、飛影はその場から逃げ出したい気分になった。
「飛影、昼間オレのこと見てたでしょう?」
「あれは…ちが…」
「隠さなくても知ってますよ。オレもあなたを見てたから。」
飛影…
腕を掴んでいた蔵馬の手が、飛影の右手をそっと握った。
ズクン、ズクンと鈍い痛みが胸から頭へと響いてくる。
苦しくて、いますぐこの手を振り払ってしまいたい。
そう思うのに飛影は、蔵馬から目が離せなかった。
「今はそういう気持ちになれないのならそれでもいい。でも…。
もう少しだけ、飛影のこと、好きなままでいてもいいですか。」
息が、止まる。
そう思った時、大きな音と共に蔵馬の背後の空に光の輪が広がった。
見上げた飛影につられて蔵馬も顔を上げた
「あ、始まったね。飛影も一緒に見に行こう!ほら早く!終わっちゃいますよ。」
わけもわからないまま、蔵馬に手を引かれた。
離せ。
そう言おうとして、飛影はその言葉を呑み込んだ。
今この腕を振り払ったら、一生後悔する。
そんな気がした。
手を引かれ、前を走る蔵馬の踊るように揺れる髪先を追いかけて、赤や黄の華が咲く夜空の下、木立の中を走った。林を抜け、視界が開ける。川に掛かった橋の上に雪菜や桑原たちのシルエットが見えた。皆の視線に気を遣ったのか、蔵馬の手が離される。
それだけで、再び飛影の心は軋んだ。
「おせーぞ蔵馬!」
「おー!飛影もやっと来たな!」
次々と夜空に大輪を咲かせる花火に歓声があがる。喝采の輪の一番端で二人は空を見上げた。
都会の豪勢な花火大会には比べものにならないが、すぐ真横の河原で打ち上げられる花火は、まるで顔面に火の粉が降ってくるかのようで、真ん丸に夜空に広がった菊の花に、誰もが頭上を仰いだ。
光の傘に皆の目が釘付けになる中、飛影だけはただ一人、斜め前に立つ男の横顔を眺めていた。月明かりに浮かぶ蔵馬の白い肌を、赤や青の光が一瞬照らしては次の色へと変化していく。
幾度こうしてこの顔を眺めただろう。
蔵馬はいつも俺の傍にいた。
それが当たり前だと思っていた時期もあった。
敵同士となり、自分がとんだ思い過ごしをしていたことを思い知らされた。
けれど魔界トーナメントで再会して、気持ちを告げられて。
今すぐ死んでもいいと思うほど嬉しかった。
あの時の俺に、蔵馬の言葉を受け止められるだけの自信があれば、こんなにも苦しむことはなかった。
散々後悔して、わざわざここまで来たのに。俺はまた逃げている。
なんのために人間界まで来たのか
花火の切れ間、雲が流れて、眩しいほどに輝いていた月を覆い隠した。
辺りが刹那の暗闇に包まれる。
飛影は斜め前に立つ蔵馬の手に、右手を伸ばした。
蔵馬は振り向かなかった。核がドクンドクンと跳ねて口から飛び出そうになる。蔵馬の手を握ったまま、飛影は自分が息をしているのかも分からなかった。前を向いたままの蔵馬の顔がどんな表情をしているか確かめる勇気はなかった。
甲高い音あげて、長い尾を引いた火球が空へと登っていく。黄金の花が大きく開いた瞬間、右手が強く握り返された。
包帯越しに感じる蔵馬のたしかな温かさ。柔らかさ。
ドッドッと鼓動が血液を送りこむ音が、耳の中でこだまする。大輪の花が夜空に開く度に頭の中がグワングワンと回った。
何も耳に入らなかった。鈴の音のような虫達の声も、足元を流れる川の水音も、幽助たちの歓声も。
「ごめん飛影。我慢できそうにない。」
耳に慣れたその声だけがやけにはっきりと聞こえた。
目の前で翡翠の瞳が閉じられる。唇に柔らかな感触を感じた瞬間、蔵馬の頭越しに、フィナーレの金色の糸がスローモーションのように零れ落ちていった。
* * * * *
それから後は、飛影は暫らく放心状態だった。
花火が終わっても手を繋いだままの二人を見て、外野は大いに囃し立てた。漸く我に返った飛影は、雪菜が目を丸くしているのを見て、穴があったら入りたい気持ちだったが、それでも蔵馬は決して飛影の手を放そうとしなかった。
皆にも貴方にも誤解をさせたくないから。
と蔵馬は言った。
「オレの隣には飛影がいるのが当然でしょう。」
その言葉に、しっかりと握られた手を飛影はもう一度確かめるように握り返した。
もう二度とこの手を離すことがないように。
火薬の匂いが残る空に夏の終わりを告げる虫たちの声が染みていった。
Fin.
2016年9月1日 蔵飛の日に。
遅刻してしまいましたが、蔵飛の日!今日くらいは幸せな二人を書いてあげたくて頑張りました(笑)タイトルは、Perfu/meの曲より頂きました。素直じゃない飛影は本当にかわいいですね。蔵馬にめちゃめちゃに愛されて幸せになってほしいな~
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